芸題紹介
令和四年春 長浜曳山祭 宮町組 髙砂山
一、東海道金谷宿なる 旅籠むさし屋の場
大阪の花形役者 加賀屋歌右エ門はその人気を認められ、あこがれの江戸の檜舞台に上がることに成り、師匠 加賀屋東蔵始め一座の人達は歌右エ門を人気役者にするのだと張り切り意気揚々と江戸に向かう。しかし実は歌右エ門は三ヶ月程前から眼を病み、このままでは失明すると医者に断言され、それを東蔵に打ち明けられず失意の中、東海道は金谷の宿にさしかかる。
舞台はむさし屋の場面。歌右エ門は東蔵が持ってきた江戸の中村座から届いた手紙を裏返しに読んでしまい、これまで隠し通してきた目の病のことを東蔵に知られてしまう。
「役者にとって眼は命。見えないのならもう生きてはいけない」と歌右エ門は絶望を感じ、自害することも考えた。そんな歌右エ門を引き止めたのは、「歌右エ門は眼が見えない」と浪花座の落日の舞台で見破った医師の土生玄硯。一度は死ぬことも覚悟した歌右エ門は、西洋医学を習い、眼の治療を専門とする玄硯に、その眼を任すことにした。風眼という難病であると診断した玄硯は、歌右エ門のために命をかけた手術をおこない、歌右エ門の眼は蘇った。ご恩に感謝する歌右エ門の謝礼を断った玄硯はその代わりに、「江戸一番の花形役者になれ、ワシも江戸で立派な医者になる、その時にワシが会いたいと申したときは必ず会ってくれ」という男と男の堅い約束を交わし、二人は金谷の宿を後にした。
二、料亭えびす屋 奥座敷の場
四年後、旗本武士 柏原源三郎のえびす屋での宴席に、江戸一番の花形役者になった歌右エ門の師匠である東蔵が歌右エ門は酒の席で踊れないことを伝えるため挨拶に伺った。頂いた祝儀を返しにきたのだが、歌右エ門の心意気を理解してもらい、その場を去る。入れ替わりに源三郎を訪ねたのは、漢方医の道庵と眼医者の土生玄硯である。源三郎と酒に目がない玄硯が酒を交わす中、酒の肴にと道庵は踊りを披露した。源三郎は、面白い踊りで楽しませた道庵に続いて、玄硯にも踊るように命じた。余興として踊りを促された玄硯は、「自分は医者であり、太鼓もちではない」と断る。源三郎も「一度言い出したからには、後には引けぬ、刀に掛けても踊らすぞ」と反す。間に入ったお仙の「御前様の御威光ならばあの加賀屋歌右エ門でもこの座敷へ呼んで躍らせることもできましょう」という言葉に、玄硯は歌右エ門とのいきさつを話した。四年前にふとした縁で歌右エ門の眼を治したことがあるのを。それを聞き源三郎は眼を治したことに恩があるなら、江戸一番の花形役者である歌右エ門をここに呼べ、そして玄硯の代わりとして踊らせなければ命はないぞと言い放つ。舞台に立つ歌右エ門へ宛てた手紙をえびす屋お仙に託し、玄硯は男と男の約束を信じて歌右エ門を待つことにする。玄硯に与えられた時間は七つの鐘が鳴り終わるまでの間。もし歌右エ門が来なければ玄硯の命はない。
三、劇中劇 八百屋お七 火の見櫓の場
そのころ、歌右エ門は舞台の上で、「八百屋お七」を演じていた。多くの観客の前で人形振りの芝居をしている最中に、お仙が届けた玄硯からの手紙を東蔵が歌右エ門に見せる(この場面の演出が見せどころ)。手紙を読んだ歌右エ門は観客に懇願する。芝居半ばだが舞台から降り、四年前に見えなくなった眼を治していただいた命の恩人、土生玄硯のために、相性町のえびす屋に急いで向かわなければいけないことを観客に話す。玄硯に降りかかった一大事。ここでご恩を返さなければ人の道がたたないことを。七つの鐘までに駆けつけなければ玄硯は、腹を切らなければいけないことを涙乍らに観客に訴えた。一刻を争う歌右エ門の話を聞いて観客は歌右エ門に「行って来い」と送り出す。必ず帰って来ることを舞台の上で誓い、歌右エ門は急いで玄硯の元へ向かう。(訴える歌右エ門と実際に芝居をみている観客とのやりとりが楽しめる、他に類を見ない演出です)。
四、元の料亭えびす屋 奥座敷の場
えびす屋では一つ、二つと鐘の音が進み玄硯の窮地が迫っていた。手紙を渡し戻ってきたお仙も、道庵も、歌右エ門が間に合うことは不可能だと、源三郎に詫びるよう玄硯を促す。それでも玄硯は、歌右エ門との男と男の約束を信じて、源三郎へ詫びることを拒んだ。そして、とうとう七つ目の鐘の音が鳴り響く・・・。
果たして舞台を中座しえびす屋へ向かう歌右エ門は、命の恩人を救い、男と男の約束全うすることができるだろうか・・・。